雨上がりの虹で強くなれるから

日記。


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秋やなぁ。

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白。

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雨上がりの虹をやっと捕まえた!(トイズが発売されてからずっとこの時を待っていたw)
虹と夕焼けが混ざって、雨で洗い落とされたような清浄な空気は秋の気配をふんだんに含んで肌にすこしつめたい。そんな中で耳に挿したイヤホンから流れるLetting Goが極上でしたわ… 曲の本質に出逢えた!と思える瞬間は他の何にも代えがたい体験。

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モロゾフのチーズケーキ。
金曜の夜はちょっとしたごほうびスイーツがあると嬉しい。

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#今週のキスマイ


読了まとめ。

《白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記
正頼………(;;)
泰麒たちが囚われの正頼の元にたどり着いたシーン、号泣。十二国記でこんなに悲しくて泣いたの初めて。

「お願いするのはこちらです」と、正頼はきっぱりと言った。「あれを主上にお渡しするために、私は意地を張ったんですからね。ぜひとも必ず、お願いします」

って、この言い草がとてもとても正頼で、尋常じゃない状態、それを6年もの間、その日々を「意地を張った」と言ってのけるところ。しかもこの状況で、自分の身を顧みず、王のため、国のための最善の選択を最速で採れるところ。文官の鑑なんて言葉では済ませられないですね。はーーーー、正頼………
正頼だけではなく、耶利も、項梁も、そして泰麒も、みんなめちゃくちゃかっこよくて(かっこいいという陳腐な表現はこの状況に全くそぐわないんだけど悲しいかなわたしの語彙力がなさすぎる)、長い十二国記の中でもこれは名シーンのひとつだわ… この少し前、見張りの兵から牢獄の鍵を手に入れるために泰麒が蓬莱での日々を思い出して自身を奮い立たせるところもまたよかった。胎果として異国に生まれ、叛逆者によって角を切られ鳴蝕を起こしてまた異国に流れ着いてしまった黒麒の数奇な運命。ここまでの脈々とした物語の連なりを思い出してハッとさせられる。

風のように駆け去った項梁を、耶利は見送った。
―あれはあれで只者ではない。
そして、と同じく見送っている泰麒を振り返った。
―最大の曲者はこの麒麟だ。

主を替えてもいい、と耶利は思った。
目指す場所が同じならそれで問題はあるまい。

黄朱という出自もあってか、それまでどこか泰麒(麒麟)への「畏敬」という概念から距離があり、妖魔や後宮の知識が豊富であるという点でこの道中項梁より1歩2歩抜きんでているような振る舞いであった耶利が(だからといって項梁を侮っていたわけではないと思うけど。他人の力量を量れないほど耶利は浅はかではないし。この道中に限って言えば耶利の方が詳しかったという事実がそこにあるだけで)、完全に2人(正頼も含めると3人)を認めた瞬間も胸熱でしたわ… 十二国記を読んでいるとこういう瞬間はままあるんだけど、人が人を認める瞬間が好きだな。
遠い昔、轍囲の地での驍宗の将軍としての行い。それが恩義として親から子へ、子から孫へと受け継がれ、長い年月を経て、お互いそれとは知らずだけど確実に驍宗を生き永らえさせる助けの一端になっていることも胸熱だったし、暗闇の深い竪穴の中で孤独に6年もの歳月を過ごしてきた驍宗の精神力も凄まじいわ… しかも無為に過ごすのではなく、そこから出るためにやれることをやり、しかも壁に暦を刻んで祀(王としての重大な務め)(国と民のためのもの)を行っていた、だと…?!っていう。ただ、阿選が最初から驍宗を生きたまま幽閉するのが目的だった(そこに多少計算違いの出来事は起こったものの)ということに驍宗が思い至ってないのはちょっと意外だった。 ←わたしはそうすることが阿選の目的だろうと8巻の時点で思ってましたよ(ドヤ)
あの驍宗が、ただ穴ぐらの中から助け出されるのを待つだけの展開になるわけがないよね?と思ってたら、ここにきて騶虞ですよ。いやほんと、天の配剤……

《白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記
表紙誰やねんと思ってたけど、阿選か。 ←気付くの遅すぎる
いや~、泣いた泣いた。めちゃくちゃ泣いた。友尚の軍が函養山の捜索に(驍宗を連れ出しに)遠征してきた時に李斎が土匪を助けに来たシーンで泣いて、驍宗との再会のシーンで泣いて、飛燕との別れで泣いて、驍宗処刑の場に乗り込むために鴻基へ向かう李斎に「ついて行く」と面々が言うシーンで泣いて。
こういう終わり方しかないよな~と思ってはいたけど、そして実際そういう終わり方ではあったけど、何かこう、釈然としないというか、もやもやするんだよなぁ。暁天(8巻)同様、わからないままのことが多いというのもあるけど(静之の安否は?耶利が「たぶん、これは黄朱にしかできない」「自分が全てを終わらせる」と匂わせていた黄朱の奥の手みたいなものは何だったのか?阿選を唆した琅燦の真意は?正頼を必死で逃がした巌趙の安否は?)、何よりあまりにも失ったものが多すぎる。
琅燦には琅燦の(黄朱の)思うところなり目的なりがあって阿選を唆したのだろうけど、そんな「天に対する(或いは「麒麟に対する」)」「実験」みたいなことに結果的に7年もの歳月を費やしたこと、その間の阿選の暴虐やそれによる国全体の疲弊と腐敗、本当にたくさんのものを失ったしたくさんの命を失ったことは、これは許されていいことなのか?という疑問はどうしてもわたしの中から消えない… 多分このあたりがいちばん釈然としていない。わたしの中で。琅燦にしてみれば「自分は阿選を唆しただけで、謀反を起こした阿選が悪いし、まんまと阿選の奸計にしてやられた驍宗(王)が悪い。よって国のこの事態は自分が招いたことではない」とでも思っているのだろうか… 最大限琅燦に対して好意的な解釈をするなら「遅かれ早かれ阿選は起つんだから、どうせなら自分がある程度阿選を操れて動きも把握出来る位置にいた方が最終的に驍宗を救うことになる」という思惑もあった、とか?うーーーん、わからんな…
角が戻っていたのに使令を動かさなかったのはそれが(泰麒に角が戻っているということが)泰麒にとって最後の切り札だったからなのだろうし(「切り札は先に見せるな」「見せるなら更に奥の手を持て」ですよ!!!!蔵馬かっこいいね!!!!)(←作品違いw)、それを味方(と思われる面々)にさえ隠し通したところもその冷静さ冷徹さ明晰さゆえのことだったんだろうと思う。「もしかして角、戻った?」と思った瞬間がこれまでに2度あって、それは1巻で李斎らと二手に分かれる決意をした時か、2巻で阿選に自分を斬らせた後で士遜(瑞州宰)を問い詰めていたら突然その場にくずおれた時、なんだけど、総合的に考えると後者かな~という気が。後者の事件の後から、寒い中、路亭に出て文州の方角に祈りを捧げるようになってるんだよね。きっと驍宗がそこにいる(王気がそこにある)とわかったからだと思う。しかし後者を採るとなると、4巻の最後のほうに出てくる「阿選に自分を斬らせた時に、敢えて使令を事前に抑え込めるやり方を琅燦は提案した(よって琅燦は敵ではない)」という泰麒の言とは一致しない…?ってなるんですよね。しかし泰麒はこう言いつつもこの時点で自分に使令が戻っていたと明言はしていないし、もちろん琅燦もこの時点で泰麒に使令が戻っているかなんてわかるはずもないから、そんな琅燦が「もし使令が戻っていたとしても」この場を切り抜けられる最も安全な策を敢えて提案してくれた(よって琅燦は敵ではない)と、泰麒は考えている、と見做すことはそこまで無理のある解釈ではないのではないかな~。と、思います。あとはまあ「角が戻る」って言ったって何もかも一気に回復するのか徐々に回復していくのか、そういう麒麟の生態みたいなものもこちらには全くわからんので、例えば「使令を使えるようになる → 王気がわかるようになる → 転変できるようになる」って段階的な回復なのかもしれませんし。そうだとしたら阿選と対峙した時には使令は戻っていたと考えることも出来るね。ただ、どの段階でどの程度「戻った」にせよ、あの鳩問題があるわけですよ。もし使令が戻っていたなら鳩のことも泰麒にはわかっていたはずなのに、それを耶利が駆除するまで放置していた。何故なら麒麟としての能力が戻っているという事実は自分にとって最後の切り札だから、自分以外の誰にも気づかれてはいけなかった。しかし鳩を放置することによって泰麒周辺に「病む」人間が出てくる。それがわかっていても、ここでこういう判断を下せるところに泰麒の冷徹さがにじみ出ていて冷え冷えしますわ。(これは泰麒を非難しているわけではないよ) 「麒麟とはもっとやわやわした存在ではないのか」って驚かれる場面は多々描かれているけど、阿選の謀反もなく再び蓬莱に流されることもなくあのまま戴で周りに沢山愛されて無邪気なまま育っていたら泰麒だってもっと「麒麟らしい」存在でいられたんだと思う。だけど、蓬莱での沢山の死、自分が蓬莱に流されてからの空白の6年間のうちに戴という国が辿ってきた日々、囚われの王、それらを背負う泰麒は諦めちゃいけないし失敗できないし強かにならなきゃいけなかったんだよ…
阿選は李斎の炎がまだ消えていないことに驚いていたし、元々驍宗の麾下だったわけでもなくしかも昇山者であるのに何故驍宗のためにそこまで出来るのか不思議がっていたけど、そんなことは読者からしたら不思議でもなんでもなくて、李斎にとって大切なのは「泰麒」なんですよ。だから畢竟驍宗のためにそこまで出来るんですよ。(もちろん驍宗自身のことを尊崇もしているだろうけど。あとは、李斎自身の人柄もあるだろうし) 阿選には、それがわからないんだな~(わからんやろな…)ってかんじですね。でも、多分、驍宗はそれわかってると思う。そこにも阿選と驍宗の差がある。驍宗が「わかってる」と思う根拠のひとつとしては、李斎を禁軍ではなく瑞州師の将軍としているところ。「王師」といえども、禁軍は王管轄、瑞州師は麒麟管轄だからね。(もちろん泰麒と李斎双方を慮っただけではなく、ずっと驍宗の麾下であった面々を禁軍将軍に据えたかったというのもあるだろうけど)(同じ将軍という位であっても禁軍のそれと州師のそれでは格の違いもあるわけだし) 処刑場でも李斎は驍宗の元へ駆けてくる泰麒の姿を認めた瞬間に、驍宗ではなく泰麒の元へ、泰麒を守りに行ったんですよね。このシーンも良かったな…
からの、驍宗からの短い言葉と視線を受けて感極まった泰麒が転変するシーンもめちゃくちゃ良かった。泰麒が転変するのはいつも驍宗に対して必死になる時で、その切迫した想いにこちらも胸を衝かれる。
あ~~~、読み終わっちゃったなぁぁぁぁぁ。1年近くかけてゆっくり読み進めてきたけど(とはいえ一度手をつけてしまうとその巻を読み終えるまでノンストップだったけどw)(だから手を付けるタイミングを見計らうことは大事だったw 読み出したら寝れなくなるからw)、こんなにおもしろいコンテンツの存在を知らずに生きてきたのかわたしは…って何回も思うぐらい本当に本当に本当にめちゃくちゃおもしろいので、ここまで散々ネタバレの感想を書いてきておいて何だけどw、まだ読んだことないっていう人は是非読んでみて欲しいです。そして続巻を心待ちにしております…!

《泣く大人》
相変わらず電車ではエッセイを読んでいる。

不思議の国のアリスの帽子屋のように、あるいはムーミンスナフキンのように、徹底して我道をいく帽子のかぶり方はいいなと思う。奇妙でも酔狂でもかまわない。
私は私の帽子をかぶり、強い心で愉しく生きたいものだと願う。



ラジオまとめ。

ガヤラジ(9月19日)
《ENDLESS SUMMER》《SEVEN WISHES》

モエラジ(9月23日)
《Catapult》《ビューティフルデイズ》

キスラジ(9月23日) 藤ヶ谷玉森
《Catapult》
モエラジもキスラジもカタパルトか~。今までラジオで流したことなかったのにな~。もしかして配信でセトリ入りしてるのかな~~~。